—『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド著

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今回、私は前書きだけ読んで書き始めた。
いや、たった一言だけを読んで、と言った方が正しいだろう。

「回避可能な医療過誤」
まさに今、このことの積み重ねによって、母は死の床についている。

事の起こりは4/4。ジムから戻ろうとしていた私のスマホが鳴り響く。母からだった。
透析から戻り、玄関が開いていなかったので、庭に回って自分の部屋から入ろうとし、庭に続く外階段を転がり落ちたとの事。
私は家まであと5分もかからない所にいた。

とにかく慌てて帰宅する。
玄関を開けて、母の部屋へ直行するが、母の姿はない。
「え?どこにいるの?」
「〇✕△…!!」「え?」
声を頼りに捜索。すると、四つ這いで押入れに頭を突っ込み騒いでいる母の姿があった。
「何してんの?」振り向いた母を見て、言葉を失う。
頭から顔面半分が流血により紅に染っていた。
階段から転がってどこぞにぶつけて切ったと思われる。流血するほど頭を打ったとなれば、混乱しているのも頷ける。
とりあえず、トイレに行きたいから!!と騒ぐのだが、他も打ったり捻ったりしている可能性は大きい。
下手に引き起こしたりしない方が良い。何とかなだめすかして四つ這いのまま自力でトイレまで行ってもらう。
用を足したらもう、動けない。
救急車の出番である。

そして、救急搬送された先で受けた点滴の傷から、感染症を引き起こし、更にそこから菌が全身にまわり、敗血症となった。

85歳、透析歴25年。若いものと違って、免疫力も体力もない。それをわかってか否か、
始まった数々の治療の中で細かい「回避可能な医療過誤」がいくつも積み上がる。人がやること、判断することだから、「ちょっとした判断ミス」や「見落とし」はやむなし…。とはいえ、それがもはや1人の命を奪う所まで来てしまっている以上、やるせない気持ちでいっぱいである。

しかし、今更彼らを責めても始まらない。
そもそも、私があと10分早くジムを出ていれば、玄関は開いていて、階段を転がることはなかったのだから。
回避可能な過誤の始まりは私から、だったのだ。