課題本『ニュートン式超図解 最強に面白い‼️次元』

「高次元と序列の話」
2021/8/15 14:53

以前、神社で勉強をしていた。
その時に習ったのは、「神様にも厳格な序列があり、自分の視線より上を見ることは出来ない」ということ。

つまり今いる次元より、下は見られるが
上は見られない。
本文を借りるなら、「3次元の立方体が2次元の平面を通り過ぎる時、2次元の住人には切り口である「面」しか認識出来ない」ということ。

よくスピリチュアルの世界で語られるのが
神々は10次元におわせられる、とか
高神は6次元以上とか。
自分自身を高め、高神と触れ合うことこそ次元上昇であるとか。

科学的?話で見るならば、
「超ひも理論」において、この世は空間の9次元と時間の1次元、計10次元の時空で構成されており、我々が認識出来るのは3次元の空間と時間の1次元。残りの6次元(余剰次元)は小さく折りたたまれ、カラビ・ヤウ多様体としてコンパクト化されている。

人間が高次元の世界を認識できたとしたら、オルタナティブメディア「Disclose.tv」の記事によれば、それは次のようなものらしい。

・5次元を認識できるとすれば、自分の世界とは少し違う別の世界を覗き見ることが可能になる。

・6次元を認識できるとすれば、この宇宙と同じようにビックバンで生まれたすべての世界を移動できるようになるという。

・7次元を理解できるとすれば、ビックバン以外の可能性で生まれた宇宙にさえアクセスできるという。

・8次元を認識できるとすれば、あらゆる宇宙の可能性を見ることができるという。

・9次元を認識できるとすれば、物理法則や初期条件の違う宇宙の全てを比較できるという。

・そして最後、もしも10次元を理解できたとしたら?そこは人間の理解を超えた世界、想像のその先、すべての可能性が許された次元だという。

そして、「覚醒した」皆さんや「元々、能力を持ってる」皆さんが、我々下々を導いて「光の世界」にお連れくださると。

一時期、どうしても「龍雲」というものを見てみたくて、そちらに詳しい方々とお付き合いさせていただいていた。
そのうち、「神社巡り」「龍下ろし」と発展し、「魔女学校」となり…
ついていけなくなった。

話だけならまだしも、私自身には
「オーラ」も見えないし、「霊光」が映る写真も撮れない。そして何より、それらを高額支払い、学んだからと言って出来るようになる気がしなくなった。それらが見えたり撮れたりする人のはしゃぎっぷりに同調したり、その片棒を担ぐのも嫌になった。

目に見えないものを信じないとか、
神様仏様その他高次元体やその世界を否定するつもりは一切ない。私が見えない、感じない、分からないだけ、である。
しかし、それらを突然我がもののように扱い、ビジネスとして徒党を組むようになったその人とは合わないと思うようになっただけだ。
人が替われば、同じ話でもまた仲良くしようと思うのかもしれない。

そう、本当に厄介なのは
神でも超次元理論でもなく、人。
同じ時を生きてる(時空まで同じかは知らんけど)人と人。そこに、序列が存在するのだろうか。見えるからエラい、感じるから優位という絶対的上下が存在するのか。

人の世界は、縦社会ではなく、横に広がる多様性に富んだ社会であってほしいと願うのは
理想論なのだろうか。