課題本:新しい世界 世界の賢人16人が語る未来 (講談社現代新書)

コロナ禍における我が家の現状と未来
2021/12/11 20:51

 

様々な刊行媒体に関わっていて、毎年この時期になると「12&1月合併号」というシロモノにお目にかかる。
年末進行で(媒体によっては夏のお盆時期も)編集その他が間に合わないので、内容量を増やして2か月分(には足りないのだが)一気に作り、遅れをさりげなく見えないようにする…といったあるあるな手法である。

年末進行なら早めに作業すればいいじゃん…とずっと何十年も思ってきた。しかし、今年の今!この時期になってそういった方法を使わざる得ない事態もあるということを改めて知ることになった。

忙しいという字は「心を亡くす」とあらわすのはよく聞くし、自らもよく使用して自分を戒めている。何とかすれば何とかなるものだろう…そう思ってやってきた。しかし、そうは問屋が卸さないこともあるもので、1日の睡眠時間が5時間を切っても、パソコンに向かいう時間が一切取れないという日々に陥った。

一つには「親の老化問題」がある。まだ介護の域には来ていない。(ご安心ください)
その前時点に訪れる「車の運転をいつ辞めさせるか問題」である。
我が家は山の上にあり、もう何十年も母も私も「車ありき」で生活も仕事も行ってきた。
つまり、車を運転しないという事態は死活問題にかかわるのである。ましてや、だんだん年を重ねてきて、(つまり老化)運転が危なくなってくるのは「起こりえる、想定内の事案」ではあるのだが、すべて取り上げてしまうとううことは、何もできなくなるということに他ならない。
なので、危ないのはわかっていても片目つぶってきたのだ。

しかし、毎日ニュースでも取り上げられる「高齢者が加害者となる事故」。
もはや他人事ではない。車と塀や電柱が仲良くなる分には片目つぶることもできたが、日々増える車の傷に、もう待ったなし感は拍車をかける。
統計的に観察してみたところ、圧倒的に擦るのは夜。しかも透析(母は週3回、20年以上透析に通っているのです)の行き帰りであるということが分かった。

幸か不幸か、夜のレッスンがほとんどコロナ禍で休みだったりなくなっていたので、そこはもう運転するな、私が送迎する!と決めた。

透析というのは1回4時間かかるので、送っていき待ってるというのは時間の無駄。夕方の仕事を1時間早上がりにし、とにかくダッシュで帰宅→送る→買い物などしながら帰宅→夕食の支度→再び迎えに行く→帰り道に塾帰りの息子を拾う→帰宅→深夜帰宅のダンナを駅まで迎えに行く→帰宅→23時過ぎ。→ 朝6:30に息子どもを駅まで送る(今までは母が送っていたが、ここも私の担当となる)帰宅し。、自分の出勤準備…と今までの3倍以上の運転量になった。

ジムに行っていた時間はすべて消し飛び(セルフコンディショニングのため)、股関節痛、肩こり、目の疲れ、ワクチンの副反応など、なかなかお祭りな体調不良多発事態に陥る。
副鼻腔炎、親知らずの炎症からの抜歯と医者通い(歯は自然治癒しないので、治療に行かざるを得ない。泣)まで勃発し、睡眠不足の常態化は思考力を削っていく。
せめて、息子どもとダンナが自分で駅まで行き帰りしてくれたら…と思うも「何言ってんだ」の一言で却下。(早朝や深夜になるため、バスがないという大義名分がまかり通る。)

そして、とうとう「合併号」を発行する事態になってしまった。会員の皆様にはこの件は何の関係もなく、まことに申し訳ない限りである。

しかしながら、反面教師としてみていただけるのであれば、「車の運転をいつまでするのか。車がなくなったら仕事や生活はどうするのか」「睡眠時間は最低でも6時間は取らないと身体に悪い。」「自分のためのコンディショニングに時間は死守すべき」「親も自分も確実に年は取っている。」といったことを我が事としてリスクマネジメントしておいていただけたら幸いである。

コロナ禍で変わってしまった生活が、全く元のように戻ることはない。様々な変革が起こり、否が応でもそれに適応していかなければならないのである。
少なくとも、自分が先にひっくり返って、世話になる、見送る順番を狂わせることのないようにしたいものである。

来年は『本厄』の年でもあるので、重々気を引き締めて、チャンスがきたら即つかめるよう、腰は軽く
事業は安定させる努力を続けていく所存である。

どうぞ皆さま、よい年をお迎えください。