壁の乗り越え方 ~今、どん底のあなたを救う処方箋

壁は、外敵から守る働きと進路を遮るというふたつの機能を持つ。

母の死後、悲しい一方で、解放された気持ちになった。
その時は、苦しい最期の床(とこ)をやっと終わる事が出来たことに対する「安堵」の気持ちだと思っていた。

一人娘で、両家初孫である私は、物心着く前から様々なスポーツや習い事を与えられた。
やらせてみないと何が向いてるか何が開花するか分からないから…というのが母の持論だった。

しかしモノになったのはスキーだけ。
音楽関連に関しては未だに楽譜すら読めない。そして物心着いた時には、
「体育大に行って運動の先生になる」という将来図を刷り込まれており、そうなるもんだと自認していた。

しかし、大学受験が具体的になる頃、
『心理学を学びたい』という気持ちになった。
心理学を学べる大学に行きたいと両親に伝えたが言下に却下。
体育大以外の選択肢はないに等しかった。
怪我でグラグラの膝で受験した合計6校に及ぶ受験は全玉砕した。

じゃあ、早く現場に出られる専門学校に行くというと、どうしても大学に行けと予備校とのダブルスクールを余儀なくされた。大学に受かった後も、
その後もスキーの指導合宿、エアロビクスの養成コースとありとあらゆるところに母の存在があった。
守られてると言えば守られている。しかし、他の選択肢への道は遮られていた。

その見えない壁が、母の死後、消失したのをハッキリ感じたのである。

今までやりたい事はやってきたつもりであったが、どこか『母の目を盗んで』やっていた。それが母の逝去により、
もう自分の人生を好きに生きていいんだ、何も気にせずやりたい方に進んでいいんだという事実を認めざる得なくなった。

壁は守る、しかし遮るものでもある。
無意識に子ども達の壁にならぬよう、風通しの良い穴の開いた状態でいたいと、改めて自戒するものである。