エッセイ修行中!課題に再々挑戦 3度目の正直
2019/9/24 19:54
「奇跡の朗読教室」
感想エッセイに
もう一度だけ、チャレンジしてみる事に。
朗読という世界に飛び込んで、自らの人生を変えた人達21人の物語。
それまで人前で大きな声を出したことも無い人もいれば、それなりの活動をしてきた人もいて、
背景はそれぞれながら、各自の課題を練習し、克服して、だんだんに変わっていく。
その段階は違えども、
同じ方向を見て努力するのは、教室に参加している人みんながそうであり、互いを刺激として成長していく姿。
大人になってからは
人が集えば、まず利害関係からむのが常であり、
そうでなくても、見栄や外聞、色々あって、
人前で声を出して、評価され、失敗を繰り返すのはなかなかしんどい事だと思う。
言葉に出す、出さないに関わらず自己開示しなければ、読んでる言葉に魂が入らない。
学校の授業中教科書を順番に読まされてるような状況、これは朗読ではなく単なる音読だ。
物語を捉え、作者の思い、登場人物の気持ちを声に表わす。
そのためには、発声や滑舌、読み込みなど基礎的な部分の積み重ねが欠かせない。
トレーニングだから、地味な繰り返しと意識しての練習をより多く重ねた人ほど結果に出てくる。
うまそうに見えても、
小手先いや口先、舌先3寸のテクニックでは
結局、人の心は動かないということだ。
振り返って、自分はどうか??
これを直視するのが相当キツい、ツラいもので、そこを直視し認めるしんどさから逃れようとして、1回、2回と書いたものの、結局3回目の書き直しをしているのが今だ。
そう、私がやってきたのは
朗読という仮面を被った「芝居がかった音読」に過ぎなかったのだ。
読書は、自分の好きに解釈しながら読める。
作者がどう言う意図で書こうが、こちらが読み取りたいよう読んで文句あるか!である。
しかし、朗読はそうではない。
これはどうやら、斜に構えてる場合ではない、ちゃんと学びなおせ自分!という王道の着地点に着陸するのが落とし所なのだろう。
#ふみサロ
#斉藤ゆき子
#城村典子
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