課題本
13歳からわかる!プロフェッショナルの条件 ドラッカー 成果をあげるレッスン
プロフェッショナル家族(提出版)
2021/11/25 21:41
子どもの頃から、うちはよそ様から「スポーツ一家ね」と言われてきた。
両親ともに、現在でも取得難関の「日本体育協会(現:日本スポーツ協会)アスレティックトレーナー」の資格を持ち、それぞれ自分の種目(父はサッカー、母はホッケー)の競技団体において、指導者として活躍していた。夏は必ず、所属するそれぞれのクラブの合宿があり、大会があり、国体には毎年役員として参加していた母。
一般的な意味の「プロフェッショナル」とは、ウィキペディアによれば
1.専門家のこと。専門家らしく、ある分野について、高い能力や、高い技術を有し、質の高い仕事をする人
2.(アマチュアのように、無報酬で、趣味としてやっているのではない、という意味で)その人にとって主たる収入を得るために特定の仕事をしている人。
となるそうだ。
母は専業主婦であったが、国体の役員、挙句は日体協の海外視察にも行っていたくらいなので『専門家』であったに違いない。
その後、日本にエアロビクスが入ってきたとき、真っ先にインストラクターの養成を受け、あちこちの教室で指導をするようになる。こうなると、もう趣味の域を超えて「主たる仕事」。インストラクターを生業とするようになった。1980年代前半、母40歳の頃の話である。そして83歳の今、なお現役の「インストラクター」として指導現場に立っている。(エアロ以前のホッケーやトレーニング教室指導なども含めると、60年以上の指導歴になる。)
52歳の時父が亡くなり、その後、腎臓を患って人工透析を受けるようになりながらも、現住所に家を建て、小さい自宅兼スタジオを作ったのが60歳過ぎ。そこを拠点に弟子たちを養成しながら、あちらこちらへと指導に飛び歩いた。様々な公的資格も取得し、取得するとだいたいその指導員組織の役員を務めていた。
最近では御年90歳の最高齢インストラクターが何かともてはやされているようだが、彼女は65歳からフィットネスをはじめ、教え始めたのは87歳。母は現在83歳なので、まだまだ、である。
歳を重ねても、同世代になら、ずっと指導を続けられるので一生勉強!というのが彼女のプロとしてのポリシーある。
娘として、同じプロの指導者として、全く叶う気がしないのである。
こちらの作品は、2023年2月に出た第2弾エッセイ集
「本から生まれたエッセイの本」
に収録されています。
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