今月の課題本:
74:心に刺さったままの言葉のトゲをじょうずに抜く本
「よその子(ほかの子)はちゃんとできるのに(やってるのに)」
コチラ全文。
私は一人っ子である。父方、母方ともに初孫で、周囲の大人からは大変かわいがられて育った。周りは大人だらけで比較対象はいない。父も母も、私を誰かと比べることはしなかった。兄弟がいないから、子供向けのモノコトはすべて私のものであり、私を中心に回っていた。
習い事もいくつもしていた。スイミング、サッカー、ピアノ・・・
スイミングは選手コース、サッカーは先生の子供ということで、特に不自由は感じなかった。
しかし、ピアノだけはそうはいかなかった。
もともと父方の祖母が「習って当たり前」ということで、父方実家近隣のピアノの先生の所に通うことになった。…というより、気づいたら通っていた。(自分の意志は関係なかった)バイエル、ソルフェージュ…。まだ幼稚園ころだったろうか。音符はよくわからない。というより、オタマジャクシと音階はわかるが、オタマジャクシのしっぽの長さが五線譜のどこまでなのか、しっぽにピロっとひれがつく、オタマジャクシの横に点がつく・・・このあたりから訳が分からなくなり、そこにこだわるので楽譜読みどころではなく、それが解決しないまま弾くという行為ができなかった。とてもメロディーとはおもえない練習用の「物語のない連続音」であるバイエル、ソルフェージュはまったく楽しくない。。一方で、「うた」「曲」は大好きだったので、いわゆる「耳コピ」はできた。なので、小曲集だけはどんどん先に進める。「バイエル〇番程度」という目安が全く釣り合わない。面白くない、そもそも読めない楽譜は練習などしたくもないし出来ない。自宅にあるのはピアノではなく、エレクトーン。かくて、月1のピアノ教室(父方の実家そばなので)は、ほぼ練習せずに行く。
ある日、先生がため息交じりに言った。「ほかの子はちゃんと練習してくるのに・・・。」
私は答える。「ほかの子のことなんて知らない!」
その日を境に、毎回先生は他の子と比べる発言を繰り返すようになった。
「よその子はちゃんと予習してくるわよ。」「みんなバイエルをちゃんと練習するのよ」
そのたびに私は大きく反発する。
「なんでほかの子と比べるの!私は私!比べないで!!」
その繰り返しが嫌になり、ますますバイエルとソルフェージュが嫌いになり、楽譜は読めない(読まない)という負のループに。そして私はピアノをやめた。
黄色いバイエルの前半ころだったろう。
なんであんなに反発したのか分からない。
が、とにかく超弩級にイヤだった。
大人になり過ぎた今では、
比較は避けて通れないが、いちいちそれに傷つかない、傷ついても自分でヨシヨシ出来る術を身につけ、問題はない。
我が子3人も、とにかく「よそはそよです、うちはうち」「あなたはあなた」を通してきたつもりだ。しかし競争は、進化の過程では避けて通れない。面の皮を厚くして、いちいち傷つかずにヌルッと生きていってくれることを切に願う。
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- ふみサロ, フィットネスインストラクター吉田真理子, エッセイ
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