子どものころ、「家庭の医学大辞典」を読むのが大好きだった。
怪我をしたらどうするか、急に吐いたらどうするか、小学生の時点で救急処置はほぼ頭に入っていた。得意げに保健委員になったものの、実際の仕事は転んだ友達を保健室に連れて行くことくらい。思ってたのと違うな…と翌年は放送委員に転向した。
中学に入ると、自分の怪我を自分で処置できるようにテーピングを学び始めた。
小学生の頃、医学大辞典を見ながら練習した「包帯の巻き方」が基礎にあったから、すぐに上達。高校を卒業する頃には、当時のほとんどのテーピング技術をマスター。大学に入ると、「水上安全法救助員」や「救急安全法救急員」の資格も取得し、着々とスキルを磨いていった。
ところが、実際の現場に遭遇すると話は別だった。
雪山でスキーヤー同士の衝突事故を目の当たりにした時、私は生徒を引率していた立場上、救護に飛び込むことができなかった。ただ見ているしかなく、胸から下が麻痺したスキーヤーに何もできない自分がいた。
その時、私は気づいた。「あ、私って傍観者でしかないんだ」と。
そこから、救急関連の勉強は少し距離を置くようになった。
机上でどれだけ学んでいても、実際に現場で脈が取れない、意識がない、身体がどんどん冷たくなっていく、そんな場面に遭遇すると、頭では分かっていても心はアワアワする。
もちろん冷静を装うけど、内心はめちゃくちゃ動揺する。
でも、そういう経験を積み重ねると、「あー、ハイハイ、アレね」と、少しずつ冷静に対応できるようになっていくものらしい。
「百聞は一見にしかず」とはよく言ったもので、母の時も、夫(まだ生きてます)の時も、意識や血圧、状況の説明が正確すぎて「医療従事者ですか?」と聞かれるほどになった。さらには、お葬式の段取りや救急搬送時の手続き、仕事の調整までもがスムーズにこなせるように。これが大人の学習ってやつなのか…。
とはいえ、本音を言えば、何も考えずに「オッパッピー ♡♡」と楽しく生きていたい。
でも、積み重ねた知識と経験がある以上、もうお花畑のままではいられないのか。これが、大人の学習ってことなのかなぁ…。
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エッセイここまで。
提出日締め切り最終日、
しかも、娘のお結婚相手のご両親との顔合わせの席で
夫が倒れ、救急搬送されるという騒ぎになった。
まさに、救急車が来るまでの応急的処置や、
搬送先での待ち時間に翌日の仕事を代わってもらう手配、など
サクサク出来てしまう自分に「なんだかなあ」と思いながら、
半分くらいこの原稿を書いていた。
幸い、かえってよしの診断だったので
最終電車を乗り継いで帰宅できたのが深夜1:00すぎ。
さすがにそれから残りを書いてアップする気力は残っていなかった。
ということで、今回は間に合いませんでしたが、一応提出しておきます。
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