あれっ?通じなかった?「幸せは搾取されない」でエッセイ
2019/12/26 23:14
まずは、提出した分を再度載せておく。
ふみサロ 課題 「幸せは搾取されない」 吉田 真理子
ふみサロでは、思いもよらない課題に遭遇する。
前回はコミックエッセイ(マンガ) 。今回は『詩』!!
まさに、(、`Д´,)ソウキタカ!である。
改めて『詩』と言われると、真っ先に苦手意識が顔を出す。
小学校の国語で、「味わって読め」「感じろ」と言われ、「は??」となったのが最初のつまづきの記憶。
以来、「詩」と聞くと、構えてしまう。
しかし、その頃持っていた貯金箱に、水森亜土のイラストがついていて、そこに添えられてた文はなんだか好きで、よく眺めていたものだった。(それが「詩」だったと気づいたのは、最近の事だ。)
一時は、ネット詩人なる友人が何人かおり、 彼女らが紡ぎ出す「闇の(病み)叫び」に心動かされ、
真似事で自分も書いてみたりと、随分と入れ込んでいたこともあったが、
それも 『詩』 だったな、と改めて思うと、この苦手意識は何なのか?
そもそも「詩」の定義とはなんぞや?
〖詩〗 《名・造》文芸の一つの形態。人間生活・自然観照から得た感動を、一種のリズムをもつ言語形式で表したもの。 ウイキペディア
リズム!そうか、 コレだ。
私が好きになる詩には、わかりやすいリズム、節回し的なテンポがある。
それがない(分かりやすくない?)詩には 「字余り」的な気持ち悪さを感じる。
こうなると、内容を味わう以前の話。 生理的にリズムが合わないから、入ってこない。
好き嫌いは理屈じゃないから仕方ない。
ついでにもう一つ言えば、その詩の詠まれた背景がわかるもののほうが好きである。
何があなたにこれを書かせたの??という推察を余儀なくされるのは苦手だ。
(これを求められたがゆえに、国語の授業で嫌になったのだ。だって感性は人それぞれ…)
三行ラブレターが好きなのも 背景がわかりやすく、リズム取りしやすいから。(★注)
結語、 この詩集の中で私が好きなのは 「きれいなこころを つむひとに」
苦手(ごめんなさい)なのは 「はなびら」である。
(★注)
ありがとうございます。
サンギョウ ラブレター
深イイ話(テレビ)でやってる、やつです。
参考までに。
心に響く三行ラブレター紹介❤深いい~!感動します☆
三行ラブレターの基本(1)短い文章で、意思をわかりやすく表現していること(2)表現に工夫があること(3)効果的に文章を構成していること めちゃめちゃ心に響きます…
以上が提出した方。
前回アップした物より、若干直してある。
ふみサロは、スバラしいというかおそろしいというか、課題となった書籍の著者様が直々にお出ましになられる特権付きのサロン。
どんな読書会でも、毎回著者ご本人がお越しになられるというのは、そうそうあるまい。
しかもその著者ご本人さまが、我々受講者が思い思いに書いたエッセイに目を通し、コメントまで頂ける、素晴らしくまたオソロシイ事態なのである。
しかし、ご本人に読まれるからと言って、
そこで「忖度」してしまっては
自分の修業にならない…
(いや、忖度したくないというつまらない意地)
なので、恐れ多くも言いたい放題、自由に書いてしまう。
また、各々から提出される作品も
自分が描き終わり出すまでは読まない。(目の付け所や、感じ方に影響されない為の防護策)
かくして、描き散らした挙句、
ほぼ予備知識の無いまま当日を迎え、
毎回、「あれ?ソコを見るべきだった?」と反省させられる私。
失礼承知で描きたい放題なので、特に著者様からのコメントにはビクビクするし、
1人だけ全く違うところに食いついてることが暴露され、かなり身の置き所には困る。
自信をもってこれは分かりやすいでしょーと描いた内容が、全く違う解釈をもって話題にされたり、あっさりソコはスルー。
伝わらないなぁと思うことのなんと多いことか。
(お前の文章力の稚拙さゆえ、と言われればごもっともですとしか出ない)
今回も、上記エッセイのように
『リズム』がいいのが好き、そうじゃないのは苦手と散々語り、最後に好きな詩と苦手と感じた詩を併記したら、
その理由は当然、前者はリズムが気持ちよかったから好き、後者はそうじゃないから苦手…
に着陸するのはあたり前田のクラッカーレベルでしょ?と思っていたが、さにあらず。
コメントとして
なんでこの2つのどこが好きなのか、嫌いなのか
書いてないですねー、そこが聞きたかったって…
ヾ( ̄∀ ̄ 💧)おいぃぃ
散々語ってきてるやないかーぃ。
申し訳ないですが、私はまず
内容じゃなくて、リズムなんだってば。
って、通じなかったのね泣
日本語ムズカシイネ。
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