「ただいま」のあと
2020/7/24 13:12
課題図書『結果を出し続ける人が夜やること』
あなたは家に入る時に「ただいま」といっていますか?
一人暮らしだったり、家族が留守をしている時は省略してしまってる人も多いのではないでしょうか?
はい。全くもってその通り。
そして私には、もうひとつの理由があった。
それは…,
「ただいま」
「おかえり。メシは?」
「ただいま」
「おかえり。腹減った」
「ただいま」
「おかえり。さ、食事にしよう」
これらは全て同じこと、すなわち
帰宅→即、食事を作れ。
を意味する。
古今東西、働く大半のお母さんは
同じ場面の経験をされてることと思う。
つまり、帰宅し「ただいま」といった瞬間
腰を下ろし落ち着く暇もなく、次の戦闘が始まるのである。
食事はやはり、作りたてが美味しい。
次から次へと作っては食卓に運び、ある程度が揃ったら、家族に先に食べ始めてもらう。
最後のひと品を並べ、さて自分もと箸を取り上げた瞬間に、「おかわり」「ソース取って」「2本目(のビール)取って」
私はまだ一口も食べてない。
帰宅して、座ってもいない。
なのに、あなた達は私が帰るまで散々くつろいで、今ある程度口が満たされてる。
その上で、まだ私になにかさせようというの?
お腹はペコペコ、疲れも限界に来て、とうとう私はプチ切れる。
「そのくらい自分でやってよ!私はまだ、座ってもいないし一口も食べてない!!」
楽しいはずの夕食が一気に険悪な空気に塗り変わる。
「…」
「…」
「だったら、こんな時間まで仕事入れるなよ」
(はあ?私が働かなきゃ、貴方だけの稼ぎじゃどーにもならないでしょが!)
言えば、スッキリするどころかますます険悪になるのは火を見るより明らか。
すっかり冷めてしまったコロッケをつまんで、
反論と共にビールで喉の奥に流し込む。
私にとって「ただいま」は戦闘開始の合図に他ならなかった。
しかし。
「今日1日頑張った自分に対してのご苦労さまという労い」の意味がある、と。
「ただいま」という言葉を発することによって、自分を労うと共に、自分が頑張ったことを認識する、ということ。
涙がポロポロ溢れた。
そう、私は戦士。
夫や子供にとってはリラックスタイムであっても、そこに家族がいれば戦闘空間。
もう充分頑張ってる。労わって欲しかったのだ。
第一章初っ端のワーク。
ここを読んだだけで、癒された私がいた。
著者は本質的に優しい人なんだな…と思った。
(後藤先生には、もう随分長くお世話になっているが、そういうことを抜きにして、そう思った)
自分を叱咤激励して乗り越えてきたが、
そろそろちゃんと労わってあげよう。
切り替えをきちんとして、オンとオフを作ってあげよう。
以来、帰宅すると
私は小さな声でただいまという。
まず自分のスペースにいき、ゆっくり座り
カバンの中身を全部出す。
その行程が終わるまでは、キッチンに行かない。
10分から30分。
それくらい待たせても、もう子供たちも大きいんだから大丈夫。それどころか、頼めば、買ってきたものをしまったり、下ごしらえをしてくれる息子たち。私が私に戻る時間。(夫は放置)
カバンが空になり、自分の中も空になる。
心地よい疲労感は頑張った証。
さあ、美味しいものでも食べようか。
豊かな明るい食卓が始まる。
( ˙▿˙ )☝2度目の後藤賞🏆✨頂きました💓💓💓💓🌷🌸🌺🌻
そうです。お母さんを労りましょう!笑
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ふみサロのブログ
結果を出し続ける人が夜やること
https://jdiscover.jp/bookreview/cat01/kekkawodasitudukeruhitogayoruyarukoto/
「結果を出し続ける人が夜やること」 後藤勇人 あさ出版
城村が講師をします文章教室「ふみサロ」で紹介した本 その1https://jdiscover.jp/bookreview/other/fumisarobook/
追記:このエッセイは後藤賞を頂きました。
さらに、エッセイ集第1弾「24色のエッセイ」にも掲載されている作品です。
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