今回の課題本
日経xwoman
早く絶版になってほしい #駄言辞典

 

駄言だったのか
2022/9/17 20:25

子どもの頃、親からは「女の子なんだから」という言葉をかけられた記憶はない。ショートカットでズボンを履いて木の枝を振り回し、近所の男の子達を引き連れて闊歩。当然見た目から女の子だと思われていなかった。

たまに、可愛いセーターやスカートを編んだからと着せられでも、チクチクが耐えられず、秒で脱いだ。
だから、母も早い段階でそういった期待はしなくなったのだろう。
女の子だから、と口酸っぱく言うのは祖母だった。
夏休みや冬休みなど祖母宅に預けられると、そこに用意してある女の子の服を着せられるのが至極苦痛だった。

時を経て、バブル真っ盛り期になった時、
「若い女子である」ということは、何にも変え難い強み(うま味)であるということに気がついた。
「え~~~、出来ないよ~~~、やって💕」とふにゃらけることで、アッシーメッシーみつぐ君が何でもやってくれた。
学生の身分でありながら、クリスマスには赤坂プリンスでディナーを食べ、カルティエのアクセサリーをプレゼントする、ということに男女ともに最大限の価値を見出していた。そういう時代だった。
次に生まれるのとしても、女子の方がチャラチャラして生きられるからそっち!と思っていた。

本の半分を占める「#駄言」は普通の会話、褒め言葉、ですらあった。
今読んでも、「あ、ふつーに言ってるし、言われたわ」レベルの違和感なし、である。
共通無意識がコレ1色だったのだろう。

今は駄言なんだね。
そんなことを思いながら
ページをめくってたら、ちょうどど真ん中で男子コーナーに切り替わった。
゚+。:.゚おぉ(*゚O゚ *)ぉぉ゚.:。+゚さすがだ。
半分ちょうどでチェンジとは、なかなか✨(∩´∀`∩)💕

と思ったのもつかの間…
男子コーナー駄言はものの数ページで終わった。

は?

これだけ?

やっぱり
共通無意識は変わってないやん、!

問題化したのは良い。
しかし、男子側がこれしかないって事自体がどーなんだ?

これからの若者に期待…かな。

本文ここまで。
-♪♪♪♪.--------

意図

もうひとつ書いた、昭和の夫婦の話を出そうと思ったのだが、いまひとつ。
色んな意味でいまひとつ。
所詮他人事というか、傍から眺めて言うだけなら、なんとでも言える。しかし、その奥の夫婦の愛までは推して知ることが出来ない。
なので、自分のバブルの話を描きました。