課題本はコレ、!
1,990年頃からの「仕事」としての著述業。(仕事の意味:「原稿料」として報酬を頂戴するということ)出産入院の時も、ギリギリまでワープロ(当時はフロッピー提出だった。懐)をベッドの上に持ち込み、原稿を書いて主治医にあきれられた。
以来、現在まで、多くの編集者の皆様にお世話になってきた。
作家と編集者は二人三脚とは、まさにその通り。校正、修正、締め切りリマインド、イラストレーターさんとの調整、単行本出版時はすべての過程から販促まで、とにかく編集さん(と呼ばせていただく)なしにはズボラな私は続けてこられなかった。感謝しかない。(現在進行形!!)
編集さんによって視点がそれぞれで、自由に降りてきたものを文章化するだけの私の作品を、様々な角度からブラッシュアップし作品たりえるものに昇華してくださる。
ある編集さんは、「とにかく削れ、削って削って研ぎ澄ませろ」というのが信条、その時は1つの文をどう削ったらシャープに、エッジのきいたわかりやすく刺さる文になるのか、毎回とにかく校正に時間がかかった。挙句、削りすぎて既定の文字数に満たないこともしばしば。この文章も、その時の感覚で削ったら半分位になるはずだ。
またある編集さんは、とにかく「ほめちぎり」上手で、自己認識を天高く上げるに必要かつ十分すぎるほどだった。今の編集さんもすごく褒め上手かつ、客観的にバッサリ校正(修正)してくるので、毎回ゲラが戻ってくるのが楽しみで仕方ない。さらに、そこに添えられる(かつては4コマ漫画だった)イラストも秀逸で、私の頭の中の世界でしか存在しなかったものがイキイキと血の巡った人物、物事に成長してくる。
大元の文章を書くのは自分だけれど、それは骨格でしかなく、それを様々な人の手、目、頭を通して見事な(自分で言うのもアカンが)作品になっていく。それが読者の手にわたり、さらにさまざまな解釈を経て各々の心に入っていく。
この醍醐味を知ってしまうと、自分一人で出せてしまうkindle出版(5冊ほど出しているが)は物足りない。さらに今後もずっと、多くに人の手を煩わせる(アカンやろ笑)作家として存在し続けたいものである。
_________________________________________________________________エッセイここまで
今回は、締め切り過ぎてるので
講評はなし。
そう、締め切り守れないのが一番モノカキとしてアカンやつなのだ。
でも、だからと言って
書かない、出さないのは、もっとアカンと私は思う。
なので、明日がふみサロ本番なのだけれど、
出しておこうと思う。
ちょっとした意地。(笑)
そして、出したことで安心して、仲間の作品を読む。
なんとなく書く前に他作品を読んだら(特にネタが下りてこないとき)負け
って気がしてるのさ。
ではでは。
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