昭和の夫婦

私の仕事場のひとつであるデイケアには、多くの高齢者が来ている。
身体状況、精神状況、経済状況、生活状況等等、千差万別で、共通しているのは後期高齢者で介護認定を受けているということである。

その中に、最近入られたKさんという男性がおられる。
彼は認知症を発症しており、なぜ此処に連れてこられ、ワケの分からないことをやらされるのか、理解していない。迎えに行くと、奥さんと連れ立って外までは出てくるのだが、奥さんは一緒に行かないと分かると、大騒ぎに。何とかなだめすかして、車のドアを閉めて発車。
「うちのやつはふざけやがって、嘘ばかりつきやがる。帰ったらぶん殴ってやる」等物騒な文句を施設に着くまでまくしたてる。

施設について、しばらくは集団体操等に不承不承参加しているが、しばらくすると「うちのやつがいない」と探し始める。
とにかく「うちのやつ」がいないと全てが成り立たない。
ずっと全てを奥様にやって貰ってきた人生だったのだろう。昭和の夫婦って、多かれ少なかれそんなもんよ、と周りの参加者達も大して動じない。

一方で、ご夫婦で来られてるA夫妻。こちらは奥様の方が認知症を発症されており、ご主人が全てを担っている。何でもかんでもすぐ忘れちゃうなくしちゃう、とご主人は困り果てているようだが、当の奥様はニコニコ楽しそうに「私の足、太いでしょー?」とトレーニングを楽しんでいる。3分後には同じ会話が繰り返されるのだが、まさに「今、ここを生きている」状態で、なんの心配もしていない(ように見受けられる)。

前述のKさんの奥様は、疲れてしまい
とにかく半日でもデイケアに行ってくれ、私を自由にしてくれと悲鳴を上げている。
ずっと一緒に生きて来たけれど、ワケが分からなくなって話が通じなくなってきた人と、四六時中一緒にいるのはそろそろ厳しくなっているようだ。
ワケ分からないけれど、威張る怒る支配する行動は変わらないから、始末に負えないといったところか。

夫妻間でのパワーバランスは、昭和の夫婦では
余程のことがない限り歳をとっても変わらない。
現代なら、モラハラ、パワハラな事柄が
長年に渡り当たり前にまかり通ってきた関係性はもはや修正不可能で、どちらかが倒れるまで続いていく。

駄言だなどと言って、改められるのは
若い世代での話である。
昭和の夫婦にそれを期待するのは、かなりの無理難題であるということは、行っても仕方のないことであろうか。

 

本文ここまで。
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意図
最初に書いたのがこっち。昭和の夫婦の話。
だが、いまひとつ。
色んな意味でいまひとつ。
所詮他人事というか、傍から眺めて言うだけなら、なんとでも言える。
しかし、その奥の夫婦の愛までは推して知ることが出来ない。
ということで、もう1作、
なので、自分のバブルの話を描きました。(次の投稿をご参照ください)
で、この話は没稿となりましたとさ。