ひっかかるクセ
2020/12/13 17:24

今回の課題は、カウンセラー鶴田恵美子さんによる「アドラー心理学で悩める女性達を救う方法」についての本、『アドラーに救われた女性達』である。

この文言をひねり出すまで、かなりの努力が必要となった。
私の思考のクセとして、ひとつのコトバには引っかかると、そのことについて明らかにそのものが目の前に示されていないと、それがなんだか分からないうちは他のことが入って来なくなるというめんどくさい状況がある。

昔、アメリカスポーツ医学会(通称ACSM)の認定資格を勉強していた時、何かにつけて「ACSMのガイドラインによると…」というセリフが出てきてた。その度に「ACSMのガイドライン」そのものが本なり、教則として、目の前にないまま(つまりそのものの全体像が見えない)進められることに、とにかく違和感があり、話が入ってこなくなり、苦戦したことを思い出した。

講義をしてる側は、全体像が見えた上で、各論を話しているのだろうが、こちらはそうではない。
まるで「象」について語るのに、
目の前には大きな布を被せて全体が見えないようにしてある象がいて、話の進捗に合わせて、都度脚だけ出す、鼻だけ見せる、耳だけ露出して、
象の取り扱い講義をされているもどかしさ、なのだ。

久しぶりにそのスイッチが入ってしまったのだ。
「アドラー心理学」という言葉に…。

著者のつるたさんは、長年カウンセラーとして、アドラー心理学が隅から隅まで身体に入り切っている。だから、ごく自然に「アドラー心理学によると…」と出てくるのだと思う。
もちろん、アドラー心理学とは?についても本書でのべられている。
しかし私が知りたいのはそこではなかった。
まるで、布の中の象のイラストを見せられている感じ。私が見たいのは、実物の、動く、鳴く、鼻をふっている象の姿なのだ。

結局、「アドラー心理学」の言葉をなるべく目に入れないよう、飛ばし読みすること。ネットで「アドラー心理学とは」を納得するまで調べ、自分の腑に落ちる言葉に辿り着く。
この2点で事なきを得た。

言葉に引っかかり、苦しむのは、
単なる思考のクセであり、そこから何も生み出しはしないことは十分承知しているのだが、

仕事上でもまさに、現在進行形で
『介護職』VS『介護予防トレーナー』
自分としては後者のつもりで働いている。
しかし、ことある事に「介護職として、適切な言葉の使い方でない」「介護職としては…」etc
言われる度に「介護職じゃね〜し!」と反発する自分がいて、無意味と分かっていてもかなり苦しい。

このクセ、アドラー心理学でどうにかならないものだろうか…。

追記

上記までが提出したエッセイである。
これを合同評価されるのがふみサロの楽しみでり、またおそろしいところでもある。
今回は「テロリスト的な表現」と評された。
この文章だけからは、何が?となるのだが、
他の参加者の作品、そして著者を目の前にしてみると、そもそも相当「空気を読まない攻撃的な作品」だったことが白日の元に晒される。

😧あっ💦いやいやいや💦
決してそんな💦
喧嘩売ってる気持ちは毛頭なく💦💦💦

えーと💦😰
ごめんなさい🙏

ちなみに、
他の方の作品を読んでみたい方は、
主宰の城村先生のブログをご覧下さい。
各作品にリンクがありますよ。

今回のリンク集はこちらです。
「アドラーに救われた女性たち (親子関係・夫婦関係に悩むあなたへ)」

アドラーに救われた女性たち (親子関係・夫婦関係に悩むあなたへ)

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