エッセイ修行なう。冒険
2019/7/18 13:07
突然再開したこのブログ。
エッセイ塾「ふみサロ」ワークのアウトプットとして取り組んでおります。
その中で、3つの価値観で私を語る、というのが現在進行形のテーマ。

私の場合、
冒険、
変化、
楽しい
だったのは前述の通り。
(見てないしーのつぶやきはスルー)

で、全部を繋げたら長くなったのが前々回までのところ。
じつは800字程度にまとめるというのも課題のため、今度は価値観をひとつずつ掘り下げてみむとす。←好きだよね、この言い回し。

あー!!!

ここで重大な間違いを発見してしまいました!!
😱💦オーマイガー!

男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり

コレ。😱
ずっと枕草子、清少納言だと思い込んでたんだけど、

違ったー!!
ガ━l||l(0Δ0)l||l━ン

土佐日記、紀貫之でしたー💦オーマイガー

ググってみるもんだね。_| ̄|○ il||li

まぁ、これでこの先の人生、
二度と間違わないだろう、うん。

さて、本題。

もはや800字とか、超えてない…?

ま、いっか、とりあえず進もう。
(出た、歩く大雑把!)

幼い頃、毎日が冒険者でしたー(●︎´▽︎`●︎)
幼稚園~小一の前半。
父の転勤で大阪は堺市諏訪ノ森に住んでいて、銀行の寮だったので、同い年あたりのお友達には事欠かず。それが何故か全員男の子でした。
女の子がいなかったのか、どうなのか定かではなかったけれど、毎日、木に登る、塀を走る、ちょっと離れた公園までお出かけ。
何しろ幼稚園児ですからね。
とにかく、日が暮れるまで外で駆けずり回ってた。

最大の冒険は、
市電でいくつか行った先の浜寺公園まで
幼稚園児だけで徒歩で出掛けた事。
まぁ、居なくなったって親達は
大騒ぎだったそうです。
たっぷり遊んで、男の子を引連れて
帰って来た時には、各家庭総出のお出迎え。

その後、おばあちゃんが
「一体どうやって行ったの?」と
怒られて凹みつつも、実は自慢げな私と一緒に、
私たちの歩いたルートを実証検分し、
ゴルフ場をくぐったり、大きな市道を渡ったり、相当大変な道のりだったと言ってました。

当時、サッカースクールで父に連れられ、毎週日曜日は浜寺公園に行ってて。
サッカースクール以外は全然遊べなかったから、
1度仲間を連れてあの広いところで存分に遊びたかったんですよね。

今思うと、何事もなく
よく往復出来たなとは思います。

同じような無謀は、専門学校2年の時もやらかし。
万座から鹿沼まで、徒歩とバスで行けると根拠なく思い込んでて。
万座のスキースクールで知り合った大人の友達になった人達に車で送ってもらうという
不用心な旅もありました。

文字通り、冒険旅はその2つくらいしか
覚えがないですが、

スキーに明け暮れた大学4年間は、
短期バイト(春、秋)と居候バイト(夏、冬)の合間に学校に行くという、冒険に近い過ごし方でした。
年間100日は雪山にいましたからね。

その中でも
こどもショーのバイトは、もうバイトではなく
ライフワークで。
アクション女優、スタントマンにはなれないけど
その気分は味わえる最高のステージでした。

近年、SAMURAIフィルムに出会い
その気持ちは再燃中!

SAMURAIフィルムの話は、またべつの記事にて。

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